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何かを成す為には、何かを代償として支払わなければいけない


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あっちでは先日ご報告致したんやけど、
6月末を以って現職を退職することが
正式に確定しました。

あっちでは恥ずかしくて書けないことやけど
やっぱりずっと残る感情がある。

やはり 悲しくて無念だ

周りの人から見て、腰掛けだと思われることは
しょうがないとは思っている。

自分の中ではやり遂げたことがあるし、自分が
全社で一番最初に創り上げることができた。
そして、それは辞めた後もずっと今後に残し
続けるという自負がある。

でも、それでもやっぱり悲しい部分がある。
恐らく自分の前に辞めていった先輩方も
全員が持っていた感情だということが分かる。

自分が残してきた軌跡 いつかはそれが
何も無かったことのように扱われる。

それは当たり前のことで 自分が辞めた後も
会社は成長し続けて、そこで働く人達は
新しいものを作り続ける。

それと対比して 自分が目指すものがある。
自分の人生を掛けて成し遂げたい世界がある。
小学校の頃から高校や大学に入っても
コンプレックスと可能性に揺さぶられ続けている
夢がある。

その2つを 両方同時に得ることは出来ない。
出来ないとは分かっていても

やはり 悲しくて無念だ


「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
何かを得るためには同等の代価が必要になる。
それが錬金術における等価交換の原則だ」

最近ずっと『鋼の錬金術師』がお気に入りです。


等価交換。右足を失うくらいの気持ちで 
自ら扉を開いて 次の場所に向かいます。

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